ホルンバッハ社CMに非難殺到 「女性蔑視」だけじゃない根深い問題 日本を差別したつもりで全世界から見下されたドイツ
このほか60秒バージョン(https://www.youtube.com/watch?v=wAlyYXRtWvQ)もあるのですが、45秒の方で検討していきます。
このCFについて「女性差別的である」という批判は目にするのですが。それどころでは済まない、もっと本質的な観点が抜け落ちているように思われます。
大昔、学生時代に蓮實重彦氏の映画のゼミナールで、ジャン・リュク・ゴダールのフィルムを分析した時期があります。記号論に準拠する映画批評が好きな人は、どうも自分の読み出したい記号を選んでしまう傾向があります。
ロラン・バルトやジル・ドゥルーズなどを引いて、美しい詩を書いてくる学生もいるのですが、フィルムの分析はもっと徹底して、その表層のみに寄りそうべきだと私は思います。
あらゆる予断を廃し、「まずは目の前に映されているイメージそのものを直視するところから始めるべき」と、すでに音楽を職業にしていた理系出身の私は、当時も延々主張せざるを得ませんでした。
それと全く同じことが、いまも繰り返されているように思います。
今回の「ホルンバッハ」フィルムでも、後半の「アジア人女性」が男性労働者の「ブルセラ下着」の匂いを嗅いで恍惚とするシーン近辺だけを抜き出して、あれこれ批判されているように見えます。
しかし、前半部、中間部など、いったいどこを見ているのかと思うほど、コンテンツそのものを見ていません。それではこの表象を正しく批判することなど、困難でしょう。
まずフィルムそのものをしっかり追ってみます。
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ブルセラCFの表象分析
以下、ユーチューブに公開されている45秒バージョン動画の秒数を併記して、ホルンバッハのCFを検証、分析してみましょう。
画面は、しゃがみこんだ男性が泥にまみれて木の根を掘り返す開墾のような作業をしているシーンから始まります。
顔は見えず、薄いベージュのシャツを着た姿で、前腕と、重心を落とした下半身が強調された画面から、このフィルムはスタートしている。この選択は非常に重要です。
顔は見えなくていい。そこには汗がある・・・これは、このフィルムの末尾まで一貫した一つの基調をなす重要な要素です。
非人間的、非人称的に取り出された「労働」「肉体」あるいは「発汗」そのものの提示から、このフィルムは始まっている。
01秒:直ちにクローズアップされるのは、その動作者と思われるひげ面の中年白人男性(Aとします)の顔。
02秒:今度は、庭仕事をしている、灰色のTシャツを着た白人の高齢者(B)が写りますが、ごみを捨てており、その顔はよく見えません。つまり、匿名化された<老人のガーデニング>がスーパーインポーズされている。
03秒:数フレームだけ、この白髪の白人老人Bの顔がインサートされたあと、今度は、青いシャツの前ボタンを開いた間から、汗に濡れた胸毛がびっしょり肌に張りるいている<男性の胸・腹>が映し出されますが、ここにも顔はありません(04〜05秒)
最初の白いシャツの中年白人Aとも、次の灰色のTシャツの老人Bとも違う、青シャツ胸毛、顔のない人物Cは、道路工事で用いるような砂をスコップで掬っている。仮にC氏としておきましょう。
続いて06秒からは、最初の人物Aが掘り出した木の根っこを両腕一杯に抱え上げ、立ち上がる姿が映し出されます。
冒頭A氏のしゃがんだ姿で始まった、一連の「汗と肉体労働」を巡るイメージ群は07秒でA氏が立ち上がることで、一通りの円環を閉じているのが分かります。
つまり、このCFは、そんなにいい加減に作られたものではなく、極めて精緻に設計された、様々な含意(差別的な観点を含む)に満ちている。
メディアに露出しているような荒っぽい議論では、とうていここに垣間見えるリスクを、掬い取ることはできません。
さて、08秒で画面は一新します。
そこには、陽当たりのよい芝生の庭に立つ、メガネをかけ白衣を着た2人の男性が映し出され、その傍らに、何やら計器のついた、コンポストのようなマシンが置かれている。
この白衣の男性2人のうち、1人が欧州人、1人がアジア人であることに、注意する必要があります。
ほとんど触れられていませんが、ここが決定的です。別種の人物ですので欧州人P係員、東洋人Q係員としておきます。
09秒:灰色TシャツのB老人はニヤリと笑い、A氏は根っこと格闘中ですが、PQ両係員の来訪に気づいたことが、再び映される白衣の2人のインサートで明らかになります。(10〜11秒)
次いで12秒、初めて登場する禿頭でひげの赤い白人D氏の顔が映ります。彼は青いシャツの前をはだけている。先ほど、顔が見えなかった人物C氏の顔だと分かり、C氏は特徴的な胸毛を見せながら青いシャツを脱ぎ始めます。
次いでB老人も灰色のTシャツを脱ぎ、A氏もアタマから薄いベージュのシャツを脱ぎ(15秒)C氏が脱いだ青いシャツを投げてよこします。
17秒からCFは別の描写に入ります。A氏がよこした薄ベージュをP係員が指先でつまんでいますが、その表情は明らかに「嫌なもの」に相対するソレになっている。
この次が、私の見るところ最低最悪の差別表現の可能性を指摘できる部分なのですが、斜め後ろに控える東洋人のQ係員は、無表情なんですね。
欧州人のP係員には耐えがたい「臭い」に、アジア人のQ係員は嫌悪の感情を示さない。
次いでB老人の灰色のTシャツを回収した後、P係員は目で何かを訴え、A氏は紺色のブリーフを脱ぎすて、P係員は指先でそれを摘みます・・・(24秒)
このブリーフをポイと投げ捨てるところから、CFは人間が登場しない、短いけれど決定的(25〜27秒)な「第2部」に入ります。
投げられたブリ―フは、工場と思しいベルトコンベアのラインの上に着地し、次いで真空パックに詰められて製品化されていきます。
完成したパッケージが流れて行く27秒のコンベア画像には「春の匂い」という分かりやすい日本語の表記があります。こんなものは偶然で映り込む性質のものではなく、明らかに演出されたものにほかなりません。
この種のパッケージに入った衣料品というと、あえて名前は出しませんが、欧州人の大半は、カタカナ4文字のロゴで知られる日本企業を連想するでしょう。
クライアントのホルンバッハAGにそのつもりがあったかどうかは別として、このフィルムの監督・製作者には、ユの字で始まる日本企業を念頭に置いていたことが察せられます。
他の部分は結構ですので、この27秒、コンベアに記された「春の匂い」の日本語文字は、せっかく本稿を読んでくださった方は確認されるといいと思います。
28秒:画面は突然「場末」感まる出しの、工業地帯の裏町のようなセットに移動します。
本稿では音についての検討は大半を省略していますが、唯一、ここでジェット機のノイズがスーパーポーズすることは指摘しておく必要があるでしょう。
この「マーケット」、あのようなものに値がつく人外魔境は、欧州からジェットで飛ばないと到達しない別世界であることが、こんなサウンドエフェクト一つではっきりと表現されています。
暮れなずむ町の光と影の中、家路を急ぐ人、不自然な一杯飲み屋風のカウンターなどと並んで、一つだけやたら明るい自販機と、その前にたたずむOL風(?)の女性の後ろ姿のロング全景。この女性を「O嬢」と呼んでおきます。
自販機のボタンを押す指のアップ(30秒)に続いて、落下してくるのは、このCFの冒頭に映ったA氏の『薄いベージュのシャツ』にほかなりません。
A氏の顔も形も知らないO嬢は、自販機から「薄ベージュ」を取り出し(32秒)、急ぐようにしてパッケージを開き(35秒)、鼻を差し込むようにして顔を埋めてから、胸を張って深々と息を吸いこみます(36〜37秒)。
ホルンバッハAGのCF[春の匂い編]のワンシーン(YouTubeより)
そこに浮かび上がるスーパーポジションの文字列「Soriechtdas Fruehjahr.(春はかくのごとく薫る)」。
O嬢はうっとりと目を瞑っていますが、テロップと重なって、声を上げて喜悦の表情を浮かべ、中毒患者のように再びパッケージに鼻を突っ込みます(40〜41秒)。
まるで「シンナー遊び」でもする不良少女を映し出すような正面からの画角で、パッケージに落としていた顔を上げるO嬢の顔が俯瞰でアップされると、口を半開きにして目を瞑っていた彼女が反り身で白目を剥き、わずかに微笑みかけるところで、このフィルムは終っています(45秒)。
45秒のフィルムには37の編集点がありますが、野外シーンの前半25秒に26の編集点、次いで工場の3秒に4つの編集点が集中し、28秒から45秒のラストまで17秒間はたった7つの編集点しかありません。
1つのショットが長いからで、それはO嬢の購入動作、そして2回に及ぶ「春の匂い」の深呼吸、吸引動作に時間を取っているからです。
言葉より露骨な表現の悪意
あるフィルムが「女性蔑視的か?」という問いは、あまり意味をなしません。とういのは、
「蔑視的だー」「いや、そんなつもりはありません」といった形容詞、副詞を用いたような議論は、しょせん水かけ論にしかならないからです。
少なくとも、クリエーターサイドでは、そんな暇つぶしのような議論はしないのが普通と思います。
そうではない、目の前にあるものを淡々と確認し、解析して、表現そのものを物証にする方が、よほど「痛い」批判になります。
私は映画批評に興味もなければ、映像評論にも不案内ですが、とりわけ20〜30代初めにかけて、音楽屋としてフィルムに音をつける仕事を受注していましたので、あらゆる細部に気を配る習慣が身に着いています。
次いで自身でもノンリニアで番組編集をするようになりましたので、こんなふうにものを見るようになりました。
1999年から3年間教えた慶応義塾大学での「音楽の今日的アプローチ」という授業では、日本テレビやフジテレビの社告CF(「それって日テレ」「ルール」など)のシリーズを丸ごと30数本借りてきて、学生と検討したこともありました。
そのような観点から、上のような検証を踏まえ客観的に検討して、このCFにはアジア人や東アジア系企業に対する複数の「意図」を指摘することができると思います。
第1は、肉体労働で汗を流したABC各氏の汚れたシャツやパンツがアジアとりわけ日本では「売り物」になるという、欧州人が驚嘆した使用済み下着商法、いわゆる「ブルセラショップ」的なビジネスへの偏見〜アジア人に対する極めて特異な先入観。
これは特に嫌悪の色を隠さないヨーロッパ人男性P係員と、一貫して無表情な東洋人Q係員の表情のコントラストでまず提示されます。
次いで、A氏のパンツを要求するP氏の視線・・・。
こんなものでも物好きは高い価格で買うのだから、「売るように」と示唆する「女衒」の目がダメ押ししています。
あまり詳細に通じているわけではありませんが、欧州のポルノグラフィーには、日本人の目からみてどぎつすぎる表現が少なくないように思います。
ポルノではありませんが、パゾリーニの「ソドムの市」などは十分私にはどぎつい画面で、欧州でも上映が禁止されました。やはり文化も生活習慣も違うと、価値の基準が全く異なってしまう。
第2、ここに描かれているのは、本質的には資本主義のパロディでしょう。アジア人女性に対する蔑視、は分かりやすい表層ですが、それだけに矮小化すべきでは全くないと思います。
「蓼食う虫も好き好き」という言葉よろしく、欧州人にとっては価値のない汚れたシャツやパンツ、その「臭い」という、とんでもないシロモノも、東アジアに持っていけば高く売れる。
それが「売り物に値する臭さ」であるかは、およそその道を介さないP係員に並んで、無表情で何を考えているのか分からないという、かつてのオランダや英国の「東インド会社」時代もかくや、という典型的なユーロサントリズム、欧州中心主義で描かれた白衣のQ係員と、アジアの臭い価値観を定量化するコンポスト型のマシンが臭さ=価値を保証している。
表層に見える、恍惚として白目を剥く女優以上に、そのような阿呆な顧客全体を食い物にする、言ってみれば、東インド会社による清朝中国への阿片貿易を彷彿させる、極めて質の悪い悪意を、指摘しないわけにはいきません。
しかし、もっと困ったことは、こういう画面を一定以上の視聴者層が喜ぶ、と考えてクリエーターが原案を書き、代理店もクライアントもオーケーを出して、この結構な手のかかった、そこそこ以上の予算も割いたCFがオンエアされた。
その深層を抉らなければ、何も言っていないのと同じだと思うのです。
3番目。ベルトコンベアに記された日本語、これは決定打でしょう。言い逃れできません。
「ユ」の字がつく日本企業だけをターゲットにしたものではないかもしれませんが、欧州人には価値のない「使用済み下着」を、チャップリンの「モダンタイムズ」(1936)以来、西欧シネマの記憶の中に幾度も登場するオートメーション(例えば品のいいジャック・タチ「僕の伯父さん」(1958)から、下品の極みのようなマイク・マイヤーズ「オースティン・パワーズ」のシリーズ(1997-2002)などに至るまで)顔の見えない生産ラインに記された日本語商標としての《春の匂い》、私はドイツが、ヨーゼフ・ゲッペルスやレ二・リーフェンシュタールを生み出した国であることを、改めて思い出さざるを得ませんでした。
そして最後、ブルセラ顧客としてアジア人女性を描き、白目を剥かせたりする、分かりやすいカリカチュアライズの冷たい意図、これは誰でも指摘できる、一番露骨で簡単な「意図」と思います。
ポピュリズムをターゲットとするビジネス
このCFの成立事情は検索することができませんでしたが、ホルンバッハはいわゆるDIY(Do it yourself)の商法で冷戦後、急速に成長したドイツ企業です。
顧客層は広範囲に及び、比較的低所得の労働階層などにもしっかり商売していきたい。
このCFは、ドイツ人はもとより東欧圏などを含む欧州人、いや場合によっては、ドイツ社会に十分定着しているトルコ系住民などから見ても、圧倒的に他者である「東アジア」に対するシニカルな笑いが露骨に表現されている。
端的なのは「パンツ」A氏の青いブリーフでしょう。
「そんなもの」に価値を見出す人は、少なくとも欧州にはいない。ところが、これを珍重して財貨を投じる、もの好きというよりは愚かな顧客〜浅はかな連中が、極東のよく分からない地域にはいるらしい。
「ブルセラ」などの情報は、かつての勝ち組日本や韓国からもたらされたものを引用しながら、現状のグローバル・バランスの中では、中国の好調に対する冷ややかな視線が、ドイツのみならず欧州全般に存在することは否みようがありません。
そのような、社会の「ホンネ」があるから、それに合致するこのようなCFが企画され、代理店も企業クライアントもオーケーして、それなりの広告費を投入、「イイ汗、流せよ、もうすぐ春だ・・・<春の匂い>Hornbach何時でもやるべきことはある!」という春季キャンペーンを目論んだのでしょう。
今日のようなグローバルネットワークの発達した情報環境でなければ、ローカルでこのような質の悪いCFがオンエアされ、消費されて終わるだけにとどまったでしょうが、2019年のネット環境は、勝手が違っていました。
様々な抗議の声が上がりましたが、4月4日の時点ではホルンバッハはCFを撤回する意思はないと応答、私はアムステルダムに滞在していましたが、現地の仲間と肩を竦めざるをえませんでした。
しかし、その後急速に逆風が強くなった国際世論の動向と、とりわけドイツ連邦共和国の広告評議会からの警告が効いたらしく、社は方針を変更、4月15日付けで「春の匂い」撤回をツイッターhttps://twitter.com/Hornbach_tweetsで告知。
同じ45秒尺で、毒にも薬にもならない「朝は私たちのもの」(https://www.youtube.com/watch?v=izSr3qiQvbY)というCFを公開しました。
しかし覆水盆に返らず、こぼれたミルクの前で泣いても、すでに情報は全世界に拡散しています。今後、同社がどのような道のりをたどるのかは、観察するしかありません。
ネット上では「レイシスト企業ホルンバッハに鉄槌を!」みたいなリアクションをたくさん見ます。署名なども集められていました。
ここにリンクなどはしません。私が思うのは、ホルンバッハ一社がレイシストだとか、そうではない、とかいう話ではありません。
それなりにマーケティングで足場を固めたうえで、この企業に日本円で何千万円かはかかるこのようなCFを撮らせ、公開まで踏み切らせた広告代理店であり、オーケーを出した広告担当者であり、特段抗議もせず、それなりにニヤリとして終わった、急速にポピュリズムが蔓延しつつあるドイツ社会の右旋回、その腐敗と病根そのものが、一番問題だと指摘せざるを得ません。
ちなみに諸外国からは、日本国内で同様の排外的なコンテンツがヒットする状況があれば、全く同様の批判を受けるわけで、ことを企業の問題、あるいは単に「女性蔑視」といった問題だけに限局するのは、視野狭窄の恐れがあるように思います。
筆者:伊東 乾
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